漫才の名跡について

  • 中山四吉
  • 2017/04/22 (Sat) 10:15:56
近年、弟子入りして漫才師になるというケースが少なくなってきています。
それとともに感じるのが、上方漫才の名跡が絶えてしまうのではないかということです。海原、秋田、海原、上方、島田、西川、横山、若井など近い将来、無くなってしまうのではないでしょうか。
なんか惜しいと感じるのは自分だけでしょうか。

Re: 漫才の名跡について

  • 酒本
  • 2017/04/22 (Sat) 15:23:27
今の漫才はしゃべくりが主ですから、芸の伝承という芸能ではないということですね。極まれに先人のネタをやってる人もいますが、基本的にそのコンビ一代限り(片方が亡くなった後、相方を変えて同じネタをやってた人もいましたが)というものだからでしょうね。
列挙していただいた亭号は皆戦後の物ですね歴史も浅い。
砂川、桜川、玉子家、松鶴家、浮世亭、荒川という歴史的な亭号でもはや絶滅した亭号もありますね。(流れを汲んでいる人は居ますが)
はっきり言って漫才はその時代その時代を生きる芸能ですから、名跡などというものはあまり関係ないかと思いますね。

それより、上方漫才というもの自体が無くなってしまいそうですよ。今の若い子は大阪で一生懸命頑張って修行して大看板になろうなんてこっから先も思ってないですからね。
マスコミで賞取って、すぐに東京へ移住して、テレビのひな壇芸人になってゆくゆくはバラエティで冠番組を持つのが第一目標ですからね。
現在でも「このコンビは大阪で大看板に成れるのに、なんで東京中心に仕事をしてるんやろ惜しいなあ」と思うコンビが居ますからね。

Re: 漫才の名跡について

  • 喜利彦
  • 2017/04/22 (Sat) 17:14:04
 初書き込みです。
 漫才研究?の視点から申し上げますが、漫才くらい師弟関係の希薄な芸能も珍しいです。ある意味で近代が生み出した芸能らしいです。
 さて上方初期の漫才は一応形なりにも師弟関係が取られていました。その頃はまだネタづくしの時代でしたから、師匠に手ほどきを受ける必要があったのです。
 それが大きく変わったのが、やはりしゃべくり漫才の発生でしょう。しゃべくりの開発によって、漫才師の芸は芸の有無よりも喋りのうまさやコンビの色合いに注目されるようになりました。その頃から、もはや亭号というものは少しずつ形骸化し始めていたのだと思います。
 それでも戦後まで一応残ったのは、興行社に入るための建前や一応芸能界のルールという暗黙があったからだと思います。しかし、それも養成所の誕生でなくなってしまいました。今では会社が若者を呼び、コネの有無が関わらず、数打てば当たる戦法を取っているからです。
 皮肉なことに、そんな師弟関係は東京で残りました。林家の流れは途絶えましたが、喜代駒一門の流れは未だに続いておりますし、また内海桂子の弟子などは頑張っておりますね。その背景には寄席や落語界のしきたりが強くあったからで、そこは漫才も妥協せねばならなかったところのようです。
 酒本様も申し上げられた通り、漫才には伝承という概念が薄いです。それが故に淘汰も変遷も早く、亭号が無くなることはあいしかたないことでしょう。
 それよりも漫才が無くなるのではないか、という不安の方を問題にすべきでしょう。今は芸がなくとも、コンビとしての面白さがなくても、少し目立てばすぐ司会やひな壇に抜擢される。なるほどそれも一つの生き方でしょうが、ならば漫才コンビを組む必要はあるのかと思います。
 うまい具合に芥川賞をいただいた漫才師や変なことをする漫才師を喜ぶべきではない、本来嘆くべきではないかと私などは考えます。雑草と言ってはあまりにも語弊がありますが、下手に他の領域を荒らす事はいくら漫才とはいえ、許されないことだからです。
 漫才の名跡はあってないようなもの。むしろ、何代も続く方は見比べられたりして上手くいかないパターンのほうが多いですね。

Re: 漫才の名跡について

  • 初心者
  • 2017/04/23 (Sun) 08:37:09
漫才は伝承芸ではありませんので、こういう状況も致し方ナイのでしょうね
私らの世代は
海原、秋田、海原、上方、中田、島田、西川、横山、若井等
継承して欲しいです

東京では漫才協会が有り、落語の定席に出るには噺家さんの身内にになる事が必須のようですので一門意識まだ残っている様に思います
定席に出ている漫才サンの多くは、亭号を名乗っていなくても、経歴を見ますと「星ルイスに入門」等師匠がいるようです

個人的にはナイツの様な存在が理想と思いますが如何でしょうか 

大阪の漫才サンの師弟関係の現状は如何でしょうか
ティーアップ シンクタンクは「里見まさと一門」と名乗っているようですが
所謂弟子修行はされているのでしょうか

漫才サンには付き人(=弟子?)は存在しないのでしょうか
プロダクションのマネージャーさん=付き人 でしょうか

関西の場合は、興業会社が牛耳っていますので、一門意識は希薄になるのでしょうか 





Re: 漫才の名跡について

  • 虎八
  • 2017/04/24 (Mon) 11:13:18
砂川、桜川、玉子家、松鶴家、浮世亭、荒川

この時代は音曲等の芸の伝統があったので一門の意識が強かったのだと思います。
(若井はんじ けんじ や夢路いとし 喜味こいしのご両人は
 荒川一門の子息で当初荒川を名乗ったと云われておりますが)
 
 喋くり漫才が主体になるとこの辺りが芸の伝承より個人の芸と云う事になったのでしょうか?
 例えば横山エンタツ氏の師匠は当初芝居の一座から出発した
 山田九州男とされており、この横山はエンタツ氏の出身地
(三田市の横山から取ったとされております。)
 この横山を名乗るのが横山ノック氏ですが、所属事務所を
 移る時に、師匠である秋田Aスケ Bスケのご両人から破門と
 云う形になり、エンタツ氏の子息でテレビ局の社員だった方
 (花紀京氏の兄で 中山美保嬢の夫)から「親父が付き人を
 探している」と云う事で横山を名乗ったが、ノック氏も
 AB氏からは楽屋に入るパスポートの様なもので、自身も
 弟子にはそうしていたと語っておりました。
 又、西川も古くからある、西川はヒノデ サクラの方で、
 こちらの弟子筋にあたるのがWヤングと云う事なのでしょう  か?
 当初平川幸雄氏も西川ヒデ若と云う芸名だったそうですが?

 西川きよし氏は本名で師匠は喜劇俳優の石井均氏で
 数か月後東京に帰ったので吉本では白木みのる氏の付き人と
 云う形で入ったそうですが、弟子には西川のりお氏等 西川
 を名乗らせておりますが、のりお氏もきよし氏と年齢も近く
 弟子入りした当初はきよし氏自身が若手だったので、「兄さ  ん」で良いという関係だったとのりお氏は云っておられたと
 思います。
 上岡龍太郎氏が(当初は横山パンチだったが)「漫才や漫談は
 落語や音曲と違って一から教えられるものではない、その人の
 キャラクターが問われるので昔から漫才の師弟関係は芸界入り するパスポートの様なもの 自分が横山から改名した様に
 弟子や付き人に上岡を名乗らせても役得がないので名乗らせな い」と云っておりました。

 唯、吉本の林正之助会長がオール阪神巨人にエンタツアチャ  コを
 コメディーNO1にラッパ日佐丸を
 大助花子にワカサ一郎を襲名せよと云っていた事があったと
 聞きました。これは系図ではなく会社が名跡を管理しているのでしょうか?
 (阪神巨人のご両人に至っては師匠の岡八郎氏が吉本に入った のが花菱アチャコ氏の付き人としてだったので芸当的には沿っていると思うのですが)

Re: 漫才の名跡について

  • クロスケ
  • E-mail
  • 2024/03/17 (Sun) 19:12:09
名号については別に消えたって漫才界に支障はないよ。今は、漫才や漫談、コント、活動弁士関係は皆、芸能事務所の付属養成所があるからそこに入所して話芸の基礎を磨いて、話芸のネタ作成や練習など皆、養成所で行うのと、後、特待の発掘オーディションをグランプリで開催するから、そこでチャンピオンになったピン芸人または話芸コンビがプロデビューのきっかけを掴むから、今は噺芸人はノーブランドでの売り出しの時代なのさ。

Re: 漫才の名跡について

  • ヨネやんに
  • 2025/05/25 (Sun) 17:59:03
よしもと興行は
NSC出身者以外は
NGKに出演させないとか
本当でしょうか?
(投稿前に、内容をプレビューして確認できます)