日本ドリーム観光
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この記述は歌舞伎関連も含めて、よく書けていると思います。
松尾国三社長没後の昭和60年代に、
未亡人と経営陣のお家騒動が起こったことは
私も記憶しています。
松尾未亡人が舞台から挨拶したのもナマで見ています。
去年、歌舞伎俳優の市川右近さんとその時の逸話で盛り上がりました。
要するに 松竹の双子の兄弟 大谷竹次郎 白井松次郎
白井松次郎が関西、大谷竹次郎が東京を仕切っていたのが
昭和26年に白井松次郎が亡くなったことが、
いろんな影響を与えました。
白井松次郎葬儀に参列して風邪をこじらせて二代目実川延若が亡くなり、
関西歌舞伎がおかしくなり、二代目中村鴈治郎の歌舞伎役者廃業宣言に至ります。
九州出身の興行師・松尾国三が社長になるのが
昭和29年です。
千土地は歌舞伎やレビューに力を入れ・・・は昭和20年代のことで、
昭和33年開場の大阪新歌舞伎座は、歌舞伎公演が少ない「新歌舞伎座」となりました。
大谷竹次郎は昭和44年まで存命でした。
白井松次郎があと10年長生きしていたら、
関西歌舞伎や演芸も変わっていたでしょう。
六代目松鶴は、松鶴襲名に際して 千土地興業から松竹芸能に移籍していますね。
米朝の三木助襲名も同条件であった由。
さよなら角座の番組で 六代目松鶴が「角座の開場のときは別の会社でした」と
話していました。