桂米朝師が隋一と云う噺は?

  • 虎八
  • 2015/05/20 (Wed) 09:39:37
 お早うございます
 桂米朝師が滅びていた噺を復活された事はご存知の通りですが、
 上方落語で米朝師が復活された噺を思いつくままに挙げると

 稲荷車 風の神送り 算段の平兵衛 三年酒 猫の茶碗
 
 他に米朝師が掘り起し復活された噺をお知りの方が居られたら教えて戴きたいと思います

 又同世代の先代文枝師 三代目春團治師等も米朝師が口演されてから、その噺を稽古してもらったり、許可を得てされたと云う感じに成ったと云う事も聞きました。
(例 「代書」「皿屋敷」「親子茶屋」は米朝師が三代目に伝えた
 文枝さんは何処かから頼まれ米朝師に事後承諾の様な形で演じた) 
 又師匠米團治師の作「代書」を東京の立川談志師がアレンジして演じたり、自作の「除夜の雪」を立川談春師が演じられるのを
事後承諾で「演じて戴いて結構です」と云われたと云う事を聞きました。
この辺りの事を教えて戴きたいと思います

Re: 桂米朝師が隋一と云う噺は?

  • 酒本
  • 2015/05/20 (Wed) 13:06:17
桂米朝師が隋一と云う噺とはやはり「米朝十八番」という一連の物でしょうねえ。今度CDが出ますから参考にしてください。

米朝師の一番の功績は上方落語を今のレベルに引き上げた事でしょうね。古い内容やくすぐりを時代設定を崩さずに現代の客に合うよう、商品として再構築した事でしょうね。
現在、上方で定番となってる噺で米朝師が再構築した噺が多数ある事をあまり知られていません。今の若手の噺家はそれが昔からの型だと思ってるようです。

滅んでいたのを一から復活というか殆ど創作に近い物としては、
「矢橋船」「三年酒」「風の神送り」「算段の平兵衛」「骨つり」「はてなの茶椀」「天狗裁き」
戦後まで演者があったけどその人が最後で米朝師が受け継いで再構築したのが「持参金」「地獄八景」「軒付け」「稲荷俥」「抜け雀」「本能寺」「天狗さし」「けんげしゃ茶屋」など。
持ちネタとして確立はしなかったけど「冬の遊び」「古手買い」
などの復活。

江戸落語を上方に初めて米朝師が移植したのが「猫の茶椀」「看板の一」「ためし酒」

自作の新作は「一文笛」が代表ですが
最近「淀の鯉」を米団治、九雀が「煙草道成寺」を枝三郎、九雀が演じ始めました。

三田純市・作「まめだ」と永滝五郎・作「除夜の雪」(これは自作ではありません)の二作と「一文笛」は米朝師によってもはや古典の仲間入りをしています。

「代書」は師匠四代目の作の物を昭和30年代に置き換えて、前半だけで勝負できる噺に仕上げ、三代目や東京の小南師に伝え、定番となりました。三代目に譲ってからは殆どやらず、米団治追善など特別な会で原作完全版をやってました。

千日劇場や角座など演芸場に出ていた頃、漫才の間に出演の為「かわり目」の前半を人力車からタクシーに替えた物や「地上げ」を改作した「秘伝書」など後に誰でも演じる演芸場のネタとして定番の物を作りました。

Re: Re: 桂米朝師が隋一と云う噺は?

  • 植松
  • 2015/05/20 (Wed) 14:27:07
サゲ。

植木屋娘のサゲを
替えたのは米朝師ですか?

仔猫?

崇徳院?





Re: 桂米朝師が隋一と云う噺は?

  • 酒本
  • 2015/05/20 (Wed) 17:07:06
>植木屋娘のサゲを替えたのは米朝師ですか?

そうですね。「接ぎ木も根分けもうちの秘伝でおますわい」

あと、有名な所では「つぼ算」の「それがこっちの思うツボや」

「仔猫」は「芸州、道理で猫かぶるはずじゃ」という何重にも持って回ったオチを単刀直入に猫かぶりの「猫かぶってたんや」にしたんですね。

「崇徳院」の「めでたく一対の夫婦ができました・・・」等は昔から他の噺にも応用が利く常套の終わり方ですから米朝師の工夫ではないと思います。

「七度狐」の「畑の大根抜いてました」は先代桂小南のサゲ。

その反対に「不動坊」や「地獄八景」「抜け雀」などは頑なに昔からのサゲを守ってました。
「抜け雀」は職業の雲助の駕籠カキ云々のサゲじゃなく「現在親に籠をかかせ」という浄瑠璃の文句に掛けてあるという事を踏まえたサゲで「亭主、不幸ではないか、現在、親に籠をかかせた」とこだわってはった。

Re: 桂米朝師が隋一と云う噺は?

  • 初心者
  • 2015/05/20 (Wed) 22:21:43
「子ほめ」のサゲも
「生まれたてはヒトツ・・」と
現在でも数え年を踏まえたサゲが主流のようですが
米朝師のサゲは「今朝生まれた」「今朝とはお若う見える・・」と満年齢を踏まえたサゲですね

Re: 桂米朝師が隋一と云う噺は?

  • 酒本
  • 2015/05/21 (Thu) 07:41:24
>現在でも数え年を踏まえたサゲが主流のようですが

現在の上方では三代目の所ぐらいしかこのサゲは使いません。

Re: 桂米朝師が隋一と云う噺は?

  • 植松
  • 2015/05/21 (Thu) 17:34:17

「崇徳院」

サゲが、人徳や というのを聞いた記憶があります。

仁徳天皇ですね。

Re: 桂米朝師が隋一と云う噺は?

  • 酒本
  • 2015/05/21 (Thu) 19:39:04
>サゲが、人徳や というのを聞いた記憶があります。

六代目が晩年そのサゲでやってる音源がありますね。

Re: 桂米朝師が隋一と云う噺は?

  • 初心者
  • 2015/05/21 (Thu) 22:29:31
子ほめ のサゲ

>現在の上方では三代目の所ぐらいしかこのサゲは使いません。

 認識不足でした。
 東京の寄席 殆ど前座さんですが、  
 数え年 を踏まえたサゲが多いようです

Re: 桂米朝師が隋一と云う噺は?

  • 酒本
  • 2015/05/21 (Thu) 23:22:11
>子ほめ のサゲ

枝雀さんがやってた「今朝で若かったら一体幾つや?」「まだ生まれてないみたいや」というのが最近の若手は多いです。

それから誰が考えたんか知りませんが「延陽伯」の「よって件のごとし」ではなく「朝飯前なりや」というのが今の若手の主流ですし。
九雀さんがこの噺を改作した「お公家女房」をやる若手も多く二分してます。

Re: 桂米朝師が隋一と云う噺は?

  • 虎八
  • 2015/05/27 (Wed) 06:17:10
 詳しい御話有難うございます 子誉めの「一つとは」は
 数え年が戦後用いられなくなったので演じる方も少なくなったのですね?

 壺算も先代圓都師は「壺算用」でされておられますね?
 この事時代解り難いので、米朝師が変えられたのですね?

 「替り目」のタクシーに置き換えて、うどんやの前で降りるのは、演芸場でされたのですね?このパターンは先代春蝶師もされておられましたですね?

崇徳院のサゲ

  • 酒本
  • 2015/07/03 (Fri) 08:46:11
「割れても末に買わんとぞ思う」
のサゲを私らが聞き出した頃はほとんどの人は使ってませんした。
米朝師を始め、先代文我、先代春蝶、枝雀、三枝「めでたく一対の夫婦が出来ました、おめでたいお話でございます」で終わってました。本来のサゲでやってる六代目や小文枝さんのは聞く機会はなかったですが唯一仁鶴さんで聞いたぐらいです。
桂米朝上方落語大全集ではこの終わり方でしたが後年、元々のサゲに米朝師は戻しました。
そういう経緯を知らない人は、枝雀さんが独自に替えたように誤解されるようですね。
米朝枝雀の「崇徳院」の違い、みたいな事をネットで見ましましたのでここに書いておきます。

Re: 桂米朝師が隋一と云う噺は?

  • KM
  • 2015/07/20 (Mon) 20:18:54
米朝師匠が『復活』した、という言葉をよく使いますが、非常にあいまいに使われていると思います。
一番簡単に言えば「他に演じ手のいない落語を再演した」ということなのでしょうが、そう単純なものではなさそうです。

1.故人となった先輩から習っている。
2.故人となった先輩の高座を見聞きしている。
3.先輩落語家が梗概を記憶している。(それを知っている)
4.古い音源(SPレコード含む)が残っている。
5.古い速記が残っている。
6.東京落語として演じられている。
7.タイトルとオチだけがわかっている。

口演の復活なのか、ネタの復活なのか?
米朝師匠が復活したという場合、「3」が多いように思いますが、「稲荷車」は4や5がありますし、「古手買い」も4や6があります。「はてなの茶碗」も6があります。「地獄八景」も4と5があります。
つまり、1から7の前提を区分せずに一口に「復活」というのは、乱暴すぎるように思います。

5の復活なら、六代目の「殿集め」「棟梁の遊び」「大師巡り」、小文枝師匠の「孝行糖」(6も混じりますが)、五郎師匠の「鯉津栄之助」「尼買い」「深山隠れ」などもあります。
ただ、米朝師匠のネタのようにポピュラーにはなりませんでしたが・・・・・・


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