五代目笑福亭松鶴三十三回忌追善興行

  • 植松
  • 2015/04/20 (Mon) 21:14:13
当時は、角座は所作台を廃し、
ナマのお囃子もなくなりました。

ヤング路線と新喜楽座のお芝居。

五代目笑福亭松鶴三十三回忌追善興行のみ
お囃子が復活しました。

ふたたびお囃子なしに。

その後、所作台とお囃子を復活させましたが、
お囃子三味線が頼りなかったですね。

吉野ちゃちゃらかちゃんを多用していた記憶があります。

この松鶴さんは昭和58年です。お囃子復活後です。
一応は舟行きです。

Re: 五代目笑福亭松鶴三十三回忌追善興行

  • 酒本
  • 2015/04/20 (Mon) 23:30:24
この時のお囃子は現在は引退されてる、安田京子(小林政子門下)、米田なら子(松永はる門下)のちゃんとした寄席囃子の二丁三味線でした。鳴り物は紋さんと前座に出てた桂我太呂と笑福亭一門が受け持ってました。
紋さんはだいぶ耳が遠くなっていたのでキッカケが分からず、誰かが後ろから合図してました。(しかしバチは絶対譲らなかったそうです)
安田さんは京都の人で、私とは古い付き合いがありますので囃子部屋へ面会に行きました。

>お囃子復活後の三味線
確かに頼んなかったです。ハメモンなどは全く無理。三代目にも面と向かって「三代目ー○○は出来ひんでー」と平気でおっしゃったと当代文我さんが本に書いてはります。出囃子に合わせて文我さんが笛吹いてもイヤがったはったとも。

出囃子としては石段、吉野(ちゃちゃらかちゃんちゃん)、ぎっちょんちょん、さいさい節、都囃子などが主で、おスエさんが決めた漫才の出囃子は知らないのか一切無視でしたね。
噺家の、福郎「獅子舞」春団治「野崎」松鶴「船行き」は怪しいけど一応決まりの曲を弾いてましたね。
しかしお名残り公演でゲストに出た米朝、枝雀はお決まりの曲は弾けませんでしたね。

Re: 五代目笑福亭松鶴三十三回忌追善興行

  • 酒本
  • 2015/04/20 (Mon) 23:36:11
番組表です。

木村栄子 三増紋也 Re: 五代目笑福亭松鶴三十三回忌追善興

  • 植松
  • 2015/04/21 (Tue) 00:14:49
酒本様
エピソードと番組、ありがとうございます。

この追善興行。
番組の下に書かれている朝日放送・道頓堀アワーをリアルに録音したものが
この↓島ひろし木村栄子です。
この太鼓は紋さんですか!
https://www.youtube.com/watch?v=JQg_WobGzEY

今年は木村栄子さんが三十三回忌ですね。

テレビでは次の出番が、三増紋也さんでした。
大阪出身とのことでした。
端唄「香に迷う」の、明けてうれしき懸想文ひらく〜の文句に合わせて、扇子を開いてコマが乗るという芸。
ナマのお囃子ならではでしたね。

最晩年、平成21年NHK昭和なつかし亭に出演されたのがこの写真です。

キヨシ志津子は、出囃子が砂持ちだったように記憶しています。
阪神電車の数え歌

吉野ちゃちゃらかちゃんが多かったですね。

三升家紋三郎

  • 植松
  • 2015/04/21 (Tue) 00:48:10
相羽秋夫の演芸おち簿ひろい 羊書房

ホンマにおち簿ひろいです。

角座のお囃子(ヘタリ)の 三升家紋三郎さん。

この「角座4.30」はテレビで見ていました。
ビデオデッキを買った2か月前とて
録画していません。
残念です。

関西テレビにありますかなあ?

角座の下座

  • 植松
  • 2015/04/21 (Tue) 00:51:53
超有名ですので
いまさらですね。

池中スエさん。

この写真では えらい老けていますね。

Re: 五代目笑福亭松鶴三十三回忌追善興行

  • 酒本
  • 2015/04/21 (Tue) 00:52:43
>この太鼓は紋さんですか!

そうです。おスエさんの頃から「琉球節」は締太鼓でトントコトントコでした。この時の三味線は小酒静子さん。

追善興行の時の三増紋也師「曲独楽・末広の曲」端唄「香に迷う」の下座の声が安田さんです。

>吉野ちゃちゃらかちゃんが多かったですね。
やはり、漫才出身の人と違いますか?地バルといって開演前や地廻りには必ず「地囃子」を延々と囃す風習が昔の漫才一座のドサ廻りにはあったそうですからね。

お囃子復活の前に、おスエ門下の森キヨ子さん(米朝一門付きのお囃子さん)に、「蝶々さんのお弟子さんで小蝶さんと言う人を松竹は探してはるそうやで」と教えてもらいましたけどどうなったかどうか知りません。テレビで放送された角座閉館の特番に映ってた人かも知れません。紋さんが泣いてはったあの映像です。

角座の下座 つづき

  • 植松
  • 2015/04/21 (Tue) 00:57:31
これも有名な写真です。

よく見ると、出番に
ラッパ日佐丸、はんじけんじ など書かれています。

昭和40年代中頃でしょうか。

森キヨ子さん
朝日放送・枝雀寄席の出演者にいつも出ていました。
池中スエ門下だそうですね。

Re: 五代目笑福亭松鶴三十三回忌追善興行

  • 酒本
  • 2015/04/21 (Tue) 01:20:40
>森キヨ子さん
かつら枝代さんが弾き始めるまで、全国廻ってた枝雀独演会や米朝一門の会で弾いてはりました。
おスエさん死去の後は米朝付きになった松永はる師や京都の小野テル師に習ってはりました。
松永師引退後は米朝付きになり、後に枝代門下の森垣と実さんに引き継がせて引退されました。
吉朝さんと同時期に亡くなってます。今生きてたら今年80歳です。
ざっくりとしたあっさりした弾き方でしたね。

画像は松永はる、森キヨ子(右)

角座のお囃子。  翠会によるお囃子養成。

  • 植松
  • 2015/04/21 (Tue) 12:30:53
昭和50年代後半。
お囃子が滅びると言われていました。

角座のお囃子。
そもそも人材難。給金のこと、拘束時間のこと。
とりあえず弾けたら良いということだったのかもしれません。

お囃子の養成は、
翠会と林染会の貢献が大きいと思います。

桑原ふみ子師。
翠会。
学生さんを指導。
毎年、朝日生命ホールで寄席囃子の発表会+落語会を開催されていました。
よく行きました。
内海英華さんと桂枝女太さん、桂福車さん。
2人による解説付き。

小林政子さん

  • 植松
  • 2015/04/21 (Tue) 19:58:36
これもよく見る写真です。

小林政子さん。

Re: 小林政子さん

  • 酒本
  • 2015/04/21 (Tue) 21:07:29
この画像はABC「和朗亭」の囃子部屋ですね。
政子師匠の横で太鼓を打ってるのが桂文蝶さんです。

角座の三升家紋三郎、千日劇場の桂文蝶、梅田花月の桂右之助。
が、決して表に出ないヘタリをしてた戦後の元噺家さんですね。
そして放送局専門の中田つるじ。

政子師匠の告別式に行きました。
駒川駅から徒歩数分、ご自宅は三味線の稽古屋もしてはったようです。芸妓の頃のお名前は「染奴」と聞いた時は可朝さんを思い出してちょっと笑ってしまいました。
帳場は先代米紫さんが仕切ってはった。出棺の送り囃子は「都囃子」三味線は愛弟子の安田京子、入谷和女。太鼓は市染の四代目染語楼さんでした。

徳永はるさん

  • 植松
  • 2015/04/21 (Tue) 21:13:32
徳永はるさん

引退興行は行けませんでした。

Re: 徳永(松永)はるさん

  • 酒本
  • 2015/04/21 (Tue) 21:54:52
徳永は本名、松永は長唄の名前やそうです。
元は東京の神楽坂で芸者はん、大阪へ移り五代目笑福亭松鶴の内輪でご主人と一緒に笑福亭鶴八(はる)鶴次郎という芸名で「お好み邦楽」という舞台を務めてたそうですね。お客のリクエストにお答えして何でも弾いて踊るという芸。おスエさん死去のあと、一番テンポの良いのは松永のおっ師匠はんでしたので米朝師匠は使っていたのでしょうね。それに今でもよく使う出囃子や受囃子をたくさん作ってはります。

おれんじ寄席の引退興行というのは米朝師匠が松永のおっ師匠はんに引導を渡す意味合いがあったんです。本人はまだやる気だったようですが。
引退前にはすでにハメモンのキッカケをとちったり、曲があやふやになったりちょっと使い物にならなくなってたんです。
「おそ付け」を弾こうとしてもどうしても「せり」になってしまったり。私は入船亭扇橋さんの「俄獅子」が途中から「禅の相方」になってしまったの聞いたことがあります。
サゲ前に居眠ってはって、「ドンドン」で気が付いて、なんか無茶苦茶にジャカジャカ弾いてはった事もありました。

Re: 五代目笑福亭松鶴三十三回忌追善興行

  • 初心者
  • 2015/04/21 (Tue) 22:45:45
私も角座に行きましたが
あまり記憶がありません
記録も残していません

三代目は「高尾」でした
しっかりしたお囃子さんが入っていたのでしょう

トップは角座では珍しく
落語の桂我太呂さん
我朝時代には酷い高座を何度か見ましたが
一端廃業後、師匠の前名である我太呂で復活
「五両残し」等の他 鳴り物のエキスパートとしても
活躍されたと聞きましたが・・・
師匠の酒癖に悪さに耐えかねて、廃業した? ホンマデスカ?

オレンジ寄席の「徳永はる師引退興行」に私も行きました
客席には落語と無縁で三味線を習っていたお弟子さんが
何人か来られているようでした
ハル師は米朝師のリクエストにも十分応えられない状況でした

吉朝師は「蛸芝居」を出されましたが、
「皆、ハメ物の入りのネタを演じる約束チャウン?」と吉朝師が
ぼやくほど、結局音曲噺は少なかったと記憶しています。


東京のお囃子さん事情
ハメモノは殆ど有りませんが
大勢の噺家さんの出囃子の他、太神楽や手品など色物の伴奏のきっかけなど
結構大変かと思いますが
此まで安泰だったんでしょうか?


寄席囃子の研修

  • 植松
  • 2015/04/21 (Tue) 23:35:46
東京は国立劇場で、歌舞伎、寄席囃子、太神楽、能楽の研修をやっています。
大阪は文楽研修だけですね。

上方歌舞伎は、松竹が、上方歌舞伎塾として一般公募。
上方の寄席囃子は民間の伝承しかありません。
東西の差が大きいですなあ。

東京の寄席囃子 
88%が国立の研修生出身です。

・・・・・・
大衆芸能(寄席囃子)の研修について
研修目的 寄席囃子演奏者になるための基礎教育
現状
1980年(昭和55)開設され、現在第12期まで修了、17名が活躍しています。
これは就業者全体の85%にあたります。
現在は第13期生が研修中です。

研修科目 寄席囃子、長唄・三味線、小唄、端唄、清元、鳴物、作法、講義、見学ほか
応募資格 中学校卒業以上、原則として45歳位までの長唄・三味線の素養のある女子
研修期間 2年間(全日制)
募集人員 若干名
募集時期 
選考試験 原則として2年おきに一般公募し、国立劇場で実技試験と面接をします。
適性審査 研修開始後8ヵ月以内に適性を審査し、正式に合否を決定します。
研修時間 原則として、月曜日から金曜日までの平日、午前10時から午後6時まで
研修場所
問い合わせ先 国立劇場 養成課
電話 03-3265-7105(直) FAX 03-3265-7252
〒102-8656 東京都千代田区隼町4-1

修了後の措置 落語協会または落語芸術協会に所属し、都内各寄席・演芸場等に出演します。
その他 受講料無料、教材などは支給します。また、奨励費貸与制度があります。

森垣さん 大川さん

  • 植松
  • 2015/04/22 (Wed) 17:19:19

森垣さん 大川さん

平成紅梅亭です。

Re: 森垣さん 大川さん

  • 酒本
  • 2015/04/22 (Wed) 17:47:31
森垣と実さん 大川貴子さん

森垣さんは桑原ふみ子師の教室の出でプロになるために
かつら枝代さんに師事しました。
声は細かったけどしっかりした三味線で何でも弾けた人でしたね。森さんの後、米朝付きになりましたが、森さんの後すぐにパーキンソン病になって引退してからすぐに亡くなりました。

大川さんは新内の出らしい、元は内海英華門下でしたがちょっとした確執があって、辞めようかと思ってたところ吉朝さんの勧めで森垣さんに師事して米朝一門付きになりました。
現在お弟子に同じく米朝一門付きの豊田公美子さんがおられます。

お囃子の人々について 林家染丸さんの本

  • 植松
  • 2015/04/22 (Wed) 19:19:58
お囃子の人々について、

この本が詳しいですね。

林家染丸さんの本

上方芸能 昭和61年11月

  • 植松
  • 2015/04/22 (Wed) 19:31:14
上方芸能 昭和61年11月

六代目笑福亭松鶴さんの追悼記事があります。

ゆかりの方々が師匠連のことを述べています。

四代目文枝←小文枝、四代目米団治←米朝、橘ノ円都←荒尾親成、
二代目染丸←石井房子、花柳芳兵衛←五郎、文団治←文紅
花橘←和多田勝、福松←初代福郎

戦後のお囃子さん 林家染二(四代目染丸)

戦後のお囃子さん 林家染二(四代目染丸)

  • 植松
  • 2015/04/22 (Wed) 19:33:39
戦後のお囃子さん

林家染二(四代目染丸)

上方芸能 

昭和61年11月の記事です。

つづき 戦後のお囃子さん 林家染二(四代目染丸)

  • 植松
  • 2015/04/22 (Wed) 19:36:14
つづきです。

お囃子さんが絶滅しかかっていた時期に書かれたものです。

この「若い人・・・」というのが、
内海英華さんほか
現在活躍中の人々ですね。

Re: 五代目笑福亭松鶴三十三回忌追善興行

  • 清荒神のキヨシ
  • 2016/02/28 (Sun) 20:57:51
漫才の荒川キヨシ師、懐かしいですねえ。角座、新花月、浪花座、大須演芸場、その他で恐らく200回は高座を見ています。
宝塚市東公民館の笑福亭福笑師の会に出演された際には、楽屋にお邪魔をしてお話を伺いました。名古屋の大須演芸場では「阪神電車数え歌」はできませんねと申し上げると、「そうでんな」と淡々と語っておられました。
大須演芸場は客の少なさで知れれた寄席です。キヨシ師と舞台越しに雑談していると、志津子師に「いつまで喋ってんねん」と、生恵幸子師のようなことを言わせたこともありました。
大須演芸場で荒川芳政・浅田アサヒ師と一緒に出演の際は、兄弟子の芳政・アサヒがトリを務めておられました。

Re: 五代目笑福亭松鶴三十三回忌追善興行

  • 植松
  • 2020/12/30 (Wed) 22:28:28
大須演芸場で見た、東みつ子・東雲立子のコンビ。

東みつ子は吉田茂とのコンビが有名ですね。

東雲立子は、角座で下座をやっていたらしいのですが、
それは、
角座閉館直前のお三味線でしょうか?

Re: Re: 五代目笑福亭松鶴三十三回忌追善興行

  • 大宮
  • 2021/01/28 (Thu) 22:40:44
東みつ子を大須演芸場で5、6回、観ています。平成2から6年ごろだったと思います。ピンでした。三味線漫談です。

Re: 五代目笑福亭松鶴三十三回忌追善興行

  • 植松
  • 2022/07/08 (Fri) 22:34:55
「阪神電車数え歌」
阪神電車の駅名を綴って恋路の数え歌。

天六行の電車が廃止になってからは
「天六線のバスには絶対乗り換えんといて~」と
替えてはりました。
(投稿前に、内容をプレビューして確認できます)