初心者様
金明竹は露の都さんがされたんですか。酒本様がおっしゃった染丸師匠の型でしょうか…
十徳は松鶴師匠や文枝師匠等にはどの師匠から伝わったのかいろいろ気になります。
生の高座を拝見されてとても羨ましいです。染丸師匠は芸歴を考えるとまだお若いのでお元気になられると嬉しいです、一度高座を拝見したい落語家さんです。
円三師匠については、相羽秋夫さんがお書きになった現代上方落語人録を引用させていただきますと、松之助師匠を破門になった後のことについて
「愛知県蒲郡市で行われた落語会から、橋本円三の名前になった。この名は三遊亭円馬が個人名でやっていた時の名前だそうで、それをそっくりいただいたわけだ。
やがて、東京の寄席にも出演する機会が出来て、いつまでも円馬の前名を盗用しているわけにはいかないので、扇屋円三と改めた。一人身の気軽さ、何んでもやれる自由な空気があった。しかし一方で、正式に落語家として、認められない不安があった。
松鶴に上方落語協会復帰の相談をした。米朝を通じて橘ノ円都を紹介され、やっとのことで帰参がかなった。
たまたま円三の名が円都門下にあり、この時、現在の橘家円三が誕生した。」
と書かれていました。
そっくりいただいたとあるので三遊亭円馬も「橋本円三」と名乗っていたということですよね。しかし三遊亭円馬が途中橋本川柳と名乗っていたみたいですが、橋本円三と名乗っていたことについての記録は分からないです。無知なもので私はちゃんとお答えできません。すみません。
ちなみにこの本を読んでいたら、上方落語界では円三師匠と千朝師匠が剣道二段の腕前とも書かれていて意外でした(笑)
http://blog.livedoor.jp/bunnzaemon/archives/cat_274999.html