橘家円三師匠について

  • 野高涼成
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  • 2021/06/18 (Fri) 14:27:59
 初めまして、野高涼成と申します。

 先日亡くなった橘家円三師匠はファンの方々が口々に若い頃本当に上手かった、とても良い芸風だったと言っておられたり、あのまま続けておられたら看板になっていたと高く評価しておられてどんな噺家さんだったのかとても気になっておりました。
 しかし、現在二十歳の私は残念ながらお若い頃の高座にも動楽亭での高座にも間に合いませんでした。音源や映像などを聞いくことも中々できません。

 どんな芸風の落語家さんだったのか、どんな魅力があったのか、持ちネタは知られているだけでどんなものがあったのかご教授いただけないでしょうか?

また、
・「実績からいえば橘ノ圓都襲名していてもおかしくない」と投稿されていた方がいらっしゃいましたが、どんな実績があったのか
・今でも見ることのできる音源や映像は存在するのか (昔youtubeにupされていたということやカセットテープが発売されていたことをツイートされている方々はお見掛けしましたが…)
・あるアマチュア落語の方がまくらで橘家円三さんが京都市民寄席に出演されたエピソードを話しておられましたが、当時高座数は多かったのでしょうか?
そのあたりも含めてお教えいただきとうございます。


今までも話題にされていたと思いますが、総まとめ的な意味も含めまして、今一度よろしくお願いいたします。

Re: 橘家円三師匠について

  • 野高涼成
  • 2021/06/18 (Fri) 14:30:08
落語ファン倶楽部別冊東西禅落語家一門名鑑 高田文夫/笑芸人編
「動楽亭で…「淀川」「八五郎坊主」「錦の袈裟」を演じ…(中略)…圓都ゆずりの「石返し」「テレスコ」「二八浄瑠璃」などのネタも受け継いでおり、圓都の矍鑠とした高座姿を忍ばせてくれる」

上方落語家名鑑
「「東京の志ん朝師匠みたいなシュッとして、ていねいで、気で乗せていく本格派の噺家になりたかった」と言う。…(中略)…「八五郎坊主」や「崇徳院」「寄合酒」「太田道灌」その他珍しい噺もかけ、その力量は注目されていた。…(中略)…本当の高座は「そんなに甘いものじゃないと距離を置く。」

現代上方落語人録 相羽秋夫著
「新しく準備していることがある。これまで仲間とやっていた勉強会「おとし噺の会」を解消して、自分だけの「円三の会」を発足させることだ。…(中略)…現在、彼は六十一の噺を持っている。このクラスとしては多い方である。中でも「八五郎坊主」とか「錦の袈裟」など珍しい作品を得意としている。」

桂文我上方落語全集 桂文我著
四四十六(二八浄瑠璃)の項
「(二八浄瑠璃について)私が生で見たのは、橘ノ圓都門下の橘家円三兄の高座と、地方公演の時、桂米朝師に昔のやり方を教わったぐらいです。」

他に「上方落語かたいれ事典」に円三師匠の項目がある、「現代上方演芸人名鑑」、「落語 34号」にプロフィールが載っている

以上の記述の内容しか芸風や持ちネタについて知りません。(見落としもたくさんあるかと思いますすが)

また、「上方落語かたいれ事件」には月刊誌「せんば」で対談を連載していること、「現代上方落語人録」には「笑刊井戸端会議」と言う月間の新聞を14号まで発行していることや、「おとし噺の会」、「円三の会」を開いていた事が書かれていますが、詳しくご存知の方がいらっしゃいましたらお教えいただけないでしょうか。

Re: 橘家円三師匠について

  • 酒本
  • 2021/06/19 (Sat) 11:14:23
私の持っている音源ですと
「初天神」「淀川」「八五郎坊主」「近江八景」「短命(丙午)」「二八浄瑠璃」「写真の仇討」「唖の釣り」「腕喰い」「寝床」「錦の袈裟」「按七」「日和違い」「崇徳院」「太田道灌」「眼鏡屋盗人」以上16本
それから生で聞いた「宿屋町」

記録にあるのが
「こぶ弁慶」「寄合酒」「住吉駕籠」「石返し(鍋屋敷)」
そして圓都師から「子ほめ」を習ったそうで圓都師は60年はやってないネタだったそうです。

こうしてみると圓都ネタが多いように思いますが
先代染丸、松之助両師は圓都師から習ってるネタも多いので一概には言えません。
圓都ネタでも二八、寝床は染丸師もやってるし、淀川、近江八景、道灌、写真、は松之助もやってる。
腕喰いは染丸、唖の釣りは松之助かと思います。

松之助師とはある事件で「破門」ということですね。この時は一寸話題となり各劇場や業界関係者に松之助師から「破門状」が届けられたそうですね。私はその頃のことははっきり知りませんが、あまり深く詮索はしない方が良いかと思います。

吉朝、千朝が入るまではやはり本格派の人でした。しかし本題にはあまり入れ事はせずに余計なクスグリもほとんどなかったと思います。言葉使いはちょっと荒かったかもしれません。ツッコミのセリフが「あほんだらメが!」というのが印象に残ってます。後に講演活動が主になったように、枕は客席に語り掛け、かみ砕くように同意を得ながらちょっとタメになる話をされてたように思いますね。

最後に聞いた動楽亭での「錦の袈裟」は何回も生で聞いてますが、久しぶりに聞いたら、今のクスグリだくさんの落語に慣れてる私らにはちょっとあっさりした淡白な印象に感じましたね。

Re: 橘家円三師匠について

  • 初心者
  • 2021/06/27 (Sun) 23:06:21
私は、島之内寄席などで
「しまつの極意」に当たることが
ちょくちょくございました
もっと珍しい噺を演ってヨ
と心の中で、叫んでおりました

「二八浄瑠璃」「写真の仇討(一枚起請?)」「錦の袈裟」「按七」「石返し」などは
円三師が休業されて以降
滅んでしまったと言っても宜しいでしょうか

東京では前座の定番「太田道灌」も上方では余り掛かりませんね

Re: 橘家円三師匠について

  • 酒本
  • 2021/06/29 (Tue) 12:59:58
写真の仇討は現在結構演じ手があります。
文我、文也、染左、二乗
二乗は若手の中ではやり手が無いから、
この噺が被らないのでよくやります。
錦の袈裟は吉朝さんがやってました。
今は弟子のしん吉がやってます。
あん七は染雀がやります。
二八浄瑠璃は今の文我さんがやります。

「石返し」は聴き最近はませんね。
もしかしたら文我はんか枝三郎が
やってるかも?
道灌は現在、露の一門のネタになりましたね。

Re: 橘家円三師匠について

  • 野高涼成
  • 2021/07/01 (Thu) 20:50:32
返信遅くなり大変申し訳ございません。
皆様ご教授いただきありがとうございます。

私はクスグリが少ない落語が特に好きなので、リアルタイムで聞くことができていたら絶対にファンになっていました。

華やかな芸風の方は春団治師匠、染丸師匠、粋な芸風の方は仁鶴師匠、吉朝師匠がイメージにあるのですが、皆様の投稿を拝見していると、円三師匠が落語家を続けておられたら、他の方とはまた違う上方の粋で華麗な芸風だったのかなと想像しております。

吉朝師匠、千朝師匠が入るまでは本格派の人だった、というのはどういう意味か教えていただけないでしょうか?

太田道灌は圓都師匠以前から上方で演じられていますか?それとも東京のネタですか?

Re: 橘家円三師匠について

  • 酒本
  • 2021/07/01 (Thu) 23:53:20
>吉朝師匠、千朝師匠が入るまでは本格派の人だった

昔は上方の落語家で売れるためにはまず、タレントになってテレビに出る事が第一番だったんですね。落語をしていては売れなかったんですよ。世間はそういう風潮でした。
もちろん四天王というしっかりした重石があってこそのですがね。
米朝一門に限って言えば可朝、米紫は別扱いとして、当時の枝雀以下の人に限ると朝丸(ざこば)、べかこ(南光)はどちらかと言えば当時はタレント色が濃かった、朝太郎、米太郎、米輔は中途半端、米蔵、歌之助、小米、は旨いけど華が無かった。もちろん落語は米朝仕込みである程度の基準までは行けるが米朝の呪縛から抜けられなかったんです。
そこへ昭和49年に吉朝、千朝という米朝イズムを正当に継承し、且つ昇華出来る人が入って来たんです。そこで米朝師の信頼はこの二人に移りました。
それまでは華は無いけど米朝コピーの米蔵、小米、陰気で理屈屋の歌之助、そして毛色が変わって旨い落語のできる円三の四人が本格派だったんです。後にこの人たちは独自の芸風に代わっていくんですがね。千吉も順風満帆ではなく、米朝後継者手前で吉朝は志半ばで病に倒れ、千朝は一時期廃業という波もありましたがね。

>太田道灌
圓都師以前から演じられているかどうかは資料の乏しい上方落語ですから分かりません。
露の五郎兵衛師の説によると「角が暗いから提灯借りに来た」の「角」は東京の場合は「辻角」の事にしているがこれは「かど」つまり上方の言葉で「外」の意味で「かどが暗い」だから上方落語であると、前半の件は上方落語の「絵根問」であるとしています。

Re: 橘家円三師匠について

  • 野高涼成
  • 2021/07/02 (Fri) 02:22:39
早速のご返信をいただきましてありがとうございます。

米朝の遺伝子を受け継ぐ実力者としては吉朝師匠、千朝師匠が初めてだったということなんですね。本当に大変な時代だったんだなと改めて当時の落語家さん達を尊敬いたしました。
やはり当時をご覧になった方の言葉は貴重ですね、お教えいただき本当に感謝しております。

 「毛色が変わって旨い落語のできる円三」「後にこの人たちは独自の芸風に代わっていく」とお書きいただきましたが、
そのように吉朝師匠、千朝師匠が出てこられて活動を休止されるまで、円三師匠の芸風や落語家の中での立ち位置は当時の感覚としてどのような感じでしたか?
これまでと少し被ってしまう質問で恐れ入りますが、少し詳しくお教えいただけると嬉しく思います。


太田道灌についても不勉強でして、露の五郎師匠の説を全く知らなかったので驚きました。ありがとうございます。

Re: 橘家円三師匠について

  • 酒本
  • 2021/07/02 (Fri) 23:32:00
当時の協会主催の落語会、島之内寄席京橋ダイエー亭、
千里セルシーホールの千里繁昌亭、神戸の笑クリエイト社主催の
元町恋雅亭、魚崎の笑民寄席、兵庫区民寄席、京都は
金比羅さんの勉強会、芸館の上方落語勉強会、京都市民寄席、
当時、隔月、月例だった落語会にコンスタントに出てました。
また、前記の歌之助、小米、円三は後輩若手の兄貴分という
立ち位置で後輩の勉強会のゲストとして頻繁に頼まれて
いました。それだけ若手の信頼が厚く、気安く出演して
やってました。

Re: 橘家円三師匠について

  • 初心者
  • 2021/07/03 (Sat) 16:53:07
酒本様の米朝一門の分析
興味深く拝見させていただきました。

円三師、益々謎が深まるばかりです

私は三十代の円三師の印象しかございませんが
何故、落語をお休みして出版の世界に行かれたのか?
何故師匠がコロコロ変わったのか?

円三師の経歴を見ますと
松之助師匠から破門された後
「橋本圓三、扇屋圓三と改名。」
となっております。

即ち、円都門下に入る前に
「円三」を名乗っておられます
どういう経緯で
「円三」を名乗られたのでしょうか?


Re: Re: 橘家円三師匠について

  • 酒本
  • 2021/07/04 (Sun) 11:59:10
>何故師匠がコロコロ変わったのか?
三代目林家染丸→死別
笑福亭松之助→破門
橘ノ円都→死別
最終的に桂米朝預かり
自分の意思ではなく師匠が変わってますね。
松之助門下の破門がネックでその原因の真相は
どちらも亡くなってしまいましたので、名誉の為
深く追及はしない方がよいでしょう。ここではちょっと書けません。

雑誌編集は噺家になる前にやってた事らしいです。この仕事は
ある種ブローカー的な要素があって、その雑誌に関連した
仕事がありますからね。例えば講演とか、関連物品販売とか。
ハッキリ言って雑誌の発行では儲けになりません。

Re: 橘家円三師匠について

  • 野高涼成
  • 2021/07/16 (Fri) 02:03:36

 先日出版された、笑福亭銀瓶さんの「師弟」を拝見したところ、もとまち寄席恋雅亭さんのホームページが引用されていて、円三師匠、染二師匠、枝鶴師匠、桂春蝶師匠、松鶴師匠という順の第一回の出番が載せられていて、とても豪華で驚きました。

 噺がそれて申し訳ないのですが、十徳は江戸ネタでしょうか?また、江戸ネタの金明竹は戦前にも上方で演じられていたという記録はございますか?道灌つながりで気になりました。この三つの演目について上方ではどのような流れで伝わっているか詳しいことをご存知でしたらお教えいただけないでしょうか?

Re: Re: 橘家円三師匠について

  • 酒本
  • 2021/07/19 (Mon) 11:58:31
>十徳
これは笑福亭でも五代目文枝一門でも若手に教える、
「つる」や「平林」と並んでるテキスト的ネタですね。
しかし米朝、春団治はやってない。私は五代目文枝さんがよく
花月などでやってた印象があります。
>金明竹
元は江戸ネタで戦前に上方へ輸入され、上方弁の口上になり
また、それが江戸にもどり、前半の「骨皮」という部分を
三代目金馬が付け足し、今のオーソドックスな形が形成されたそうです。
上方では戦後やり手はなかったと思います。少なくとも四天王は
やって無い。
それを当代の染丸さんが噺家になる前から覚えていた金馬の
金明竹を自分なりに上方に直してでしの今の花丸に教えました。
林家以外でも最近やる若手が増えたのは江戸の物を参考にして
やってるんでしょうね。

Re: 橘家円三師匠について

  • 野高涼成
  • 2021/07/24 (Sat) 19:39:40
ありがとうございます。ということは金明竹は上方から逆輸入ということになるんですね、初めて知りました。
十徳は上方の落語家さんが演じられるのを聞いても、私はなぜかストーリー自体がとても東京をイメージしてしまいます。
花丸さんの金明竹が好きです。

話が戻るのですが、円都師匠のお弟子さんは、円三師匠の他に円之助師匠、円二郎(喜多みちお)師匠、預かり弟子として米朝一門に入られた米輔師匠がいらっしゃるんですね。

以前下記リンクの話の中で円之助さんの持ちネタに加賀の千代を挙げていらっしゃいましたが、円之助師匠、円二郎師匠が演じられたネタは他に何があるのでしょうか?
無知なものでいろいろ質問する一方で申し訳ありません。

https://rakugo.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=10833733

Re: 橘家円三師匠について

  • 初心者
  • 2021/07/26 (Mon) 22:17:49
何度もすみません

円三は、円都師から授けられた名前でしょうか

時系列では、円都師へ入門前から
「橋本円三」「扇屋円三」を名乗られていたようで
少々気になります

○十徳
 笑福亭松枝さんが、島之内寄席のトップで出られていた頃
時々聞いた記憶がございます。

○金明竹
 露の都さんが以前(未だ余り落語に注力されていなかった頃)
時々演っておられたようです。・・私は聞いておりませんが・・

○恋雅亭初回の出演者
  現役は染二(現:染丸)だけですね
  皆さんの生の高座を拝見した私も、高齢者ですわ

Re: Re: 橘家円三師匠について

  • 酒本
  • 2021/07/27 (Tue) 23:04:09
>円之助師匠
この書き込みで書いたウチの会で出されたネタは
加賀の千代、牡丹陶器、犬の目、饅頭怖い、写真の仇討、
京の茶漬け、応挙の幽霊、松竹梅、四谷怪談、寿限無、
幽霊タクシー、テレスコ、皿屋敷、鷺とり、百人一首、
鶴の恩返し、以上
宝塚落語会メンバーでしたが解散後は上方落語協会に参加してます。
しかし、後年までファミリーランドで夏場に怪談噺の
余興をしてましたね、応挙や四谷、牡丹陶器はその時用のネタです。
鶴の恩返しは枕で良くやる「鶴やのうてサギやった」というやつ。
百人一首は何故か最後に十徳になる噺でした。円都師匠譲りらしい。
現在ご存命かどうかは知りません、現役世代と唯一交際のあった
現福郎さんなら知ってるかも知れません。

Re: 橘家円三師匠について

  • 野高涼成
  • 2021/07/28 (Wed) 14:39:00
初心者様
金明竹は露の都さんがされたんですか。酒本様がおっしゃった染丸師匠の型でしょうか…
十徳は松鶴師匠や文枝師匠等にはどの師匠から伝わったのかいろいろ気になります。
生の高座を拝見されてとても羨ましいです。染丸師匠は芸歴を考えるとまだお若いのでお元気になられると嬉しいです、一度高座を拝見したい落語家さんです。

円三師匠については、相羽秋夫さんがお書きになった現代上方落語人録を引用させていただきますと、松之助師匠を破門になった後のことについて

「愛知県蒲郡市で行われた落語会から、橋本円三の名前になった。この名は三遊亭円馬が個人名でやっていた時の名前だそうで、それをそっくりいただいたわけだ。
やがて、東京の寄席にも出演する機会が出来て、いつまでも円馬の前名を盗用しているわけにはいかないので、扇屋円三と改めた。一人身の気軽さ、何んでもやれる自由な空気があった。しかし一方で、正式に落語家として、認められない不安があった。
松鶴に上方落語協会復帰の相談をした。米朝を通じて橘ノ円都を紹介され、やっとのことで帰参がかなった。
たまたま円三の名が円都門下にあり、この時、現在の橘家円三が誕生した。」

と書かれていました。
そっくりいただいたとあるので三遊亭円馬も「橋本円三」と名乗っていたということですよね。しかし三遊亭円馬が途中橋本川柳と名乗っていたみたいですが、橋本円三と名乗っていたことについての記録は分からないです。無知なもので私はちゃんとお答えできません。すみません。
ちなみにこの本を読んでいたら、上方落語界では円三師匠と千朝師匠が剣道二段の腕前とも書かれていて意外でした(笑)

http://blog.livedoor.jp/bunnzaemon/archives/cat_274999.html

Re: 橘家円三師匠について

  • 野高涼成
  • 2021/07/28 (Wed) 14:56:28
酒本様
以前にも詳しくお書きいただいてたんですね。
時折酒本様が話しておられるウチの会というのは会を開いていらっしゃるんですか?

松竹梅は最近に東京ネタから復活させたわけじゃなかったんですね。びっくりです。
牡丹陶器、四谷怪談は東京の怪談噺でしょうか?

五代目文枝師匠の嚊違い、喧嘩長屋は円都師匠をベースに圓之助師匠に細かいところを聞いたとのことですね。

Re: Re: 橘家円三師匠について

  • 酒本
  • 2021/07/31 (Sat) 00:46:07
>ウチの会
というのは京都で現在は社会人落語の会になっていますが、
昔はプロの芸人さんもゲストに出て貰った時期がありました。
今は亡くなった代表がそっちの方に顔が効きました。
現役以外にも引退した人や廃棄した人を引っ張り出しました。
その中で、桂米治郎、橘家円之助のお二人には良く出てもらいました。
90歳まで存命だった奇術のジャグラー貞一先生も良く出て貰いました。
当時の現役は先代米紫、福三時代の現福郎のお二人も京都在住という事で
良く出てもらいました。天王寺村の芸人さんも数名出て貰った事があります。
代表が亡くなってからは私がメンバーを固定してサークルとして社会人だけで、年4回、落語会をつづけています。

Re: 橘家円三師匠について

  • 初心者
  • 2021/08/09 (Mon) 12:25:55
野高涼成 様

「橋本円三」の由来、ご教示くださいまして
有り難うございました。
 三遊亭円馬が由来とは知りませんでした。
 また東京の寄席にも出演経験があるのですね
 このような経歴がありながら
 何故、落語界から離れられたのか?
 もう少し関わりを持たれても良かったのでは無いか?
 実情は判りませんが、残念です。

○都さんの「金明竹」
 島之内寄席や落語会の口演記録で見ただけで、実際には聴いておりません。すいません


酒本様
 私も「うちの会」は気になっておりましたが、
余り立ち入ったことは と躊躇しておりました。
 プロの噺家さんだけでなく、色物さんもご出演されていたとは
上方落語協会主催の会よりも本格的ですね
 ず~っと以前、NHKで拝見したでしょうか
 
 

Re: 橘家円三師匠について

  • 野高涼成
  • 2021/08/31 (Tue) 02:01:32
酒本様
ご回答、ありがとうございます。とても貴重な顔ぶれですね。私は遅くに生まれてしまったのが本当に悔やまれます。

初心者様
このあいだ古い雑誌を買ったら露の都さんが金明竹を演じると書かれていました。眼鏡屋盗人と金明竹がいくつもの公演記録に出ていたので入門してすぐの頃はこの二つをよく演じておられたんですね、ありがとうございます。

上方落語家名鑑には円三師匠の欄に
「長い間、落語会で顔を見ることはなく、惜しいという声も聞かれる。「本来の高座はそんなに甘いものじゃない」と距離を置く。」
と書かれていました。復帰することについて否定的には書かれていませんが、本に書いてあることなので、どこまで表向きの文章ではないのかは分からないですね。
(投稿前に、内容をプレビューして確認できます)