>自らが松竹新喜劇に在籍している時に、息子の進氏が無断で吉本に入ったので、絶縁状態
初期の頃の花月には新喜劇は「吉本バラエティ」というコメディでした。それとは別に他所の劇団が入ったりもしたんです。当時の吉本は持ち駒が少なかったので、時間調整のためにね。
先代雷門助六さんがまだ五郎といってた頃にやってた「五郎劇団」や九州を中心に廻ってた「博多淡海一座」もそうです。ですから新喜劇には先代は入っていません。
木村進は父に勘当同然で単身大阪へ出てきて、吉本に淡海の息子と言うのも隠して研究生として入ったわけです。そして同期の間寛平とコンビでめきめき頭角を現しついには二人座長にまでなりました。それでも淡海の息子ということはずっと隠してたんですが、人生幸朗によってばれてしまいます。ずっと絶縁状態という事を聞いたテレビ局が番組で親子対面させて、復縁させようという事になりました。
私はその番組をリアルタイム見た覚えがあります。そのあと色んな局の番組に二人で出演したと思います。
淡海一座を解散して淡海が松竹新喜劇に正式入団したのが木村と和解した後で、千葉蝶三郎が亡くなって藤山寛美の相手役として千葉蝶の後ガマとして迎えられたんです。しかし淡海得意のお婆さんは封印されます。千葉蝶の当たり役「愚兄愚弟」の金魚屋の高橋とか「裏町の友情」の炭屋の五平とか千葉蝶とはまた違った雰囲気で受け継いだんですが、いかんせん寛美を食ってしまう、また酒癖もあって、白木みのるの「松竹喜楽座」が失敗した後の角座へやられてしまうんです。
仲圭介、白羽大介など吉本新喜劇創世記に活躍した人たちと一緒に「松竹新喜楽座」として封印されていたお婆さんを目玉に結構道頓堀の人気になりましたが、やはり酒のせいで解雇されてから亡くなってしまうわけです。