博多淡海師代々について

  • 虎八
  • 2015/06/07 (Sun) 18:08:47
 角座の松竹名人会の処に新喜楽座の処に淡海師の事が書かれて
 居りましたので、質問をさせて戴きます

 当代(名跡は返上された)は元吉本新喜劇の木村進師で、
 昭和末期に間寛平師と共に活躍され、新喜劇だけでなく
 「モーレツしごき教室」等バラエティでも御馴染の方だったと
 思います。丁度新喜劇がマンネリ化される頃に淡海を
 襲名されたが、下半身不随と云う重病に成られたのですね?
 酒と休みなく公演つづけたのが災いしたと云われております。
 現在でも車椅子を使い各地で公演されておられるのですね?

 先代は博多生まれで、吉本新喜劇や松竹新喜劇に客演された後、新喜楽座の座長に迎えられるのですが、
 晩年は、酒が原因で無断欠席し、解雇され、その数年後に
 未だ50代と云う若さでお亡くなりに成られるのですね?

 自らが松竹新喜劇に在籍している時に、息子の進氏が無断で吉本に入ったので、絶縁状態にあったとも聞きました
 この辺りの事を教えて戴きたいと思います

Re: 博多淡海師代々について

  • 酒本
  • 2015/06/07 (Sun) 19:20:45
>自らが松竹新喜劇に在籍している時に、息子の進氏が無断で吉本に入ったので、絶縁状態

初期の頃の花月には新喜劇は「吉本バラエティ」というコメディでした。それとは別に他所の劇団が入ったりもしたんです。当時の吉本は持ち駒が少なかったので、時間調整のためにね。
先代雷門助六さんがまだ五郎といってた頃にやってた「五郎劇団」や九州を中心に廻ってた「博多淡海一座」もそうです。ですから新喜劇には先代は入っていません。

木村進は父に勘当同然で単身大阪へ出てきて、吉本に淡海の息子と言うのも隠して研究生として入ったわけです。そして同期の間寛平とコンビでめきめき頭角を現しついには二人座長にまでなりました。それでも淡海の息子ということはずっと隠してたんですが、人生幸朗によってばれてしまいます。ずっと絶縁状態という事を聞いたテレビ局が番組で親子対面させて、復縁させようという事になりました。
私はその番組をリアルタイム見た覚えがあります。そのあと色んな局の番組に二人で出演したと思います。

淡海一座を解散して淡海が松竹新喜劇に正式入団したのが木村と和解した後で、千葉蝶三郎が亡くなって藤山寛美の相手役として千葉蝶の後ガマとして迎えられたんです。しかし淡海得意のお婆さんは封印されます。千葉蝶の当たり役「愚兄愚弟」の金魚屋の高橋とか「裏町の友情」の炭屋の五平とか千葉蝶とはまた違った雰囲気で受け継いだんですが、いかんせん寛美を食ってしまう、また酒癖もあって、白木みのるの「松竹喜楽座」が失敗した後の角座へやられてしまうんです。
仲圭介、白羽大介など吉本新喜劇創世記に活躍した人たちと一緒に「松竹新喜楽座」として封印されていたお婆さんを目玉に結構道頓堀の人気になりましたが、やはり酒のせいで解雇されてから亡くなってしまうわけです。

博多にわか

  • 酒本
  • 2015/06/07 (Sun) 20:19:22
木村進、間寛平で「身代わり地蔵」という元は博多にわかをコント仕立てにしたものを見ました。

当時の花月にはポケットミュージカルスというコーナーが通常公演にありました。これも持ち駒が少ないので時間調節の為のもので、吉本専属歌手(ラリー石川とか丘光二とかいう人が居た)が当時の流行歌を唄いその合間に新喜劇の若手がコントで繋ぐというものです。
「身代わり地蔵」とは村で寄進したお地蔵さんを何かの都合で無くしてしまい仕方なく身代わりに人間が立ち、お参りの老婆とのドタバタで笑いをとるというもの。
お地蔵さんに寛平、お参りの老婆を木村が演じていました。

後に新喜楽座で父の淡海がやったのも見た事があります。

Re: 博多淡海師代々について

  • 初心者
  • 2015/06/07 (Sun) 23:08:26
私は、松竹新喜劇に入団される前のご活躍は、見た記憶がありません。
松竹新喜劇入団時に淡海師の為に書き下ろされた芝居が有り
TVでも中継されました。
しかし、TV中継された時は、淡海師は休演で、八木五文楽師が
代演でした。


松竹新喜劇から新規楽座に移籍されたあとは
道頓堀アワーで拝見致しました。
第一弾は「稲荷札」十八番のおばあさん役で、
ジャンプもされるとの事でしたが、余りよく判りませんでした。

また、TV局は忘れましたが、水戸黄門のお婆さん版の
コメディーがありました。


松竹新喜劇時代は酔っ払って舞台に上がったり、マイクを使用したりして、クビになったようですが、
達者な人は排除される風潮も有ったように思います。
文童さん然り。

吉本新喜劇で、木村進 博多淡子(先代夫人?)木村進の愛娘の
親子三代共演がありました。
十年位前GAORAの再放送で拝見しました。


吉本新喜劇に以前、抜天太郎(バッテン タロウ)という人が
おられました。
名前からして、九州ご出身でしょうか


Re: Re: 博多淡海師代々について

  • 植松
  • 2015/06/08 (Mon) 19:46:34
新喜楽座。

その後、石井均や南風カオルが
座長になりました。

片岡愛之助が子役時代に本名で
南風カオルの芝居に出たと
本人から聞きました。
歌舞伎に入る前です。

そして、お囃子と所作台の復活時に
新喜楽座は無くなりました。

Re: 博多淡海師代々について

  • 酒本
  • 2015/06/08 (Mon) 21:09:01
ピョーンと飛び上がって足を曲げたまま正座の格好で着地します。

道頓堀角座「新喜楽座」の舞台より。相手役は曾我廼家文童。

Re: 博多淡海師代々について

  • 植松
  • Site
  • 2015/06/08 (Mon) 22:58:22
角座のチラシです。

http://blogs.yahoo.co.jp/pbtyw727/GALLERY/show_image.html?id=19634026&no=1

リンク貼らせていただきました。

やはり、飛び上がっての正座です。
(投稿前に、内容をプレビューして確認できます)