先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • 虎八
  • 2014/01/21 (Tue) 14:55:40
当代枝鶴師の師匠で
六代目松鶴師の実子である
先代枝鶴師はどの様な芸風だったのでしょうか?
六代目とは又違う芸風だったと聞きました。

又、六代目の1周忌の追善興行を無断欠席し、廃業と云う形に成ったと聞きましたが、
それまでにも、廃業 復帰を繰り返していたと聞きました。
六代目が亡くなる前にも長く廃業していた時期があったとも聞きました
この当りの事を教えて戴きたいと思います。

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • 酒本
  • 2014/01/21 (Tue) 21:50:18
>六代目とは又違う芸風だったと聞きました。

やはり親子ですからちょっとした言葉の言い回しとかは似てました。芸風は今の枝鶴さんをもっと押しを強くして、ガラ悪くしたようなと言えば解ってもらえるかな?

この人は、元来「ノラ」なんです。しんどい事、煩わしい事が嫌い、窮地に追いやられたらその場から逃避したいという人なんです。

母親を早くに亡くし、六代目が後妻のあーちゃんと暮らす為に和多田家(六代目の姉の嫁ぎ先、元・先代小つるの和多田勝氏の実家)に預けられて育てられました。
そんな事も有り、六代目としては枝鶴さんに対して負い目も有ったため、厳しくはできなかったんでしょうね。

芸界を出たり入ったり、一時期小文枝時代の五代目文枝師の預り弟子にもなり光鶴の名前で花月に出演記録が有るのはこの時期です。その後、昭和48年に角座で「枝鶴・枝雀・福団治トリプル襲名披露」となるのです。この時に現・枝鶴さんが入門します。しかし、またまたノラが出て失踪。六代目の最晩年にやっと戻って来ましたが、人相も悪く、もう目つきが噺家の目では無かったですね。そして六代目死去。追善会すっぽかし事件。恐喝事件。最後まで擁護していた仁鶴さんも見放して落語界追放となるんですね。

「しーちゃん兄さん」
一門の弟弟子やざこばさんや現・文枝さんなどはこう呼んでます。「しーちゃん」は光鶴時代からの呼び方で本名の「竹内日吉」の「ひよしちゃん」が縮まって「しーちゃん」です。

ネタはやはり笑福亭のネタが良かったですが、親父と比較されるのが嫌なのか「高津の富」や「三十石」「天王寺詣り」はやらなかった。追善会で「らくだ」をやる予定だったのですが、やはりプレッシャーに負けて逃げ出したんだと思います。
三代目から「代書」や「いかけや」を習っています。三代目も特別な思いが有ったと思います。

先代京山幸枝若師から譲られた「竹の水仙」はこの人の独壇場でしたね。当時は他に演者は有りませんでした。

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • みなもとかずま
  • 2014/01/22 (Wed) 10:21:06
落語より音頭や浪曲が好きやった。

失踪の前日は車で自宅に送り出した弟子当代枝鶴によると

玄関先で寂しそうな顔やった。とのこと

追善の日の楽屋はてんやわんや、電話もない時代やから

自分の披露宴すっぽかした。

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • 異邦人
  • 2014/01/26 (Sun) 14:48:26
トリプル襲名のころは枝雀師匠も有髪だったのは
本当ですか。

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • 酒本
  • 2014/01/26 (Sun) 21:49:48
昭和48年当時はオールバックですがポマードなどの整髪料は着けてないフワフワした髪型。そののちだんだんてっぺんハゲになって来て、短くなり
最後は坊主にしました。

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • 異邦人
  • 2014/01/26 (Sun) 23:06:01
酒本様

ありがとうございます。これが三人同時襲名のLP
ジャケットでございますか

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • 酒本
  • 2014/01/27 (Mon) 13:01:49
>三人同時襲名のLPジャケットでございますか

さようでございます。

ローオンレコード二枚組LP

1「口上」松鶴、米朝、春団治、枝鶴、枝雀、福団治(本人たちも一言あり)
 「対談」松鶴、米朝、春団治、香川登志緒
 「宿替え」光鶴改め五代目笑福亭枝鶴
2「軒付け」小米改め二代目桂枝雀
 「居酒屋」小春改め四代目桂福団治

すべてスタジオ録音。ジャケット撮影場所はおそらく角座
ちなみに枝雀さんの出囃子は先代が使用してた「早船」でした。
(「昼飯」は後日池中スエ師の薦めで使用し出す。)

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • 初心者
  • 2014/01/27 (Mon) 22:44:32
酒本さま
貴重な画像をありがとうございました

私は当時ライブ盤に拘っていましたので
このレコードは購入しませんでした
角座のライブ盤にしてほしかったですね

でも今となっては、これも貴重な音源ですね

私は角座の披露興業に行きました
枝雀さんの出囃子は「早船」でした
東京からのゲストは当初は痴楽師でしたが、
体調を崩され、私が行ったときは、先代の助六師が代演
落語の後、立ち上がって「あやつり」「扇返し?」も披露されました
私は昼夜連続して聞きましたが
福団治「小学校」枝鶴「うどんや」と同じネタでしたが
枝雀師は「宿替え」「鷺とり」と昼夜ネタを変えていました。

口上では、枝鶴 福団治は一門の出世名前と六代目、三代目が紹介されていましたが
米朝師は、枝雀は一門の名前ではありません
と、一寸不満が有ったのかもしれません

落語の襲名披露興業でしたが
トリは「かしまし娘」中入りは「左近ショー」でした

もう40年前のおはなしでございます

長々とすいません

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • 酒本
  • 2014/01/27 (Mon) 23:26:25
>先代の助六師が代演

そうだったんですか、それは知りませんでした。

痴楽師が口上の時倒れた事しか報道や記録はないですから、
後日談まで誰も記録してませんものね。
初心者様はよくそういう所に遭遇されてますね。

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • 異邦人
  • 2014/01/28 (Tue) 22:01:39
襲名興行でも、
中入り左近ショー、トリかしまし娘って
どれだけこの2組が角座を集客させてたか
ってことなんですか。

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • 酒本
  • 2014/01/28 (Tue) 22:48:04
襲名披露とは言っても当時は世間一般的に「落語」というものの市民権はまったく有りませんでした。
特に角座へ来るお客さんは殆ど「漫才」を見に来る人なので、
ストーリーを楽しむ芸は受け付けない客層だったからです。

それより以前はダイラケなどしゃべくり漫才でもトリ取ってたんですが、この頃は角座のトリは陽気に音楽ショウと決まってたんです。

この頃のトリ前の番組は落語→しゃべくり漫才→音楽ショウという流れが定番になっていました。

Re: Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • 植松
  • 2014/01/29 (Wed) 17:16:18
角座の口上は、漫才界を代表して1人並んでいましたね。
島ひろし先生!

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • 酒本
  • 2014/01/29 (Wed) 19:37:42
島ひろしさんは漫才界を代表してというより当時関西演芸協会の会長さんだったからで、いわば演芸界を代表してという事ですね。

現在、吉本は襲名ビジネス真っ最中ですが、地方の公演の襲名披露で口上に並ぶ漫才さんは演芸界を代表してじゃなく、トリ前に出る色物扱いの人です。はっきり言って襲名する当人とはそない縁が無い人が多いです。

今、現役で漫才界を代表する人で襲名する落語家と縁のある人は居ないのと違いますでしょうか?
五代目文枝襲名のにいとしこいしさんが口上に並んだ時「漫才界を代表して」は納得しましたけどね。

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • みなもとかずま
  • 2014/01/29 (Wed) 21:10:54
六代目松鶴のときの都家文雄、松喬のときのいとこい

近年では三代目春蝶のときにレツゴー師。

東京では漫才やないけど十一代目文治襲名に松村邦洋氏や彦麻呂氏が並んだ。

今後テレビで活躍してる八光、方正、三度あたりが何か襲名なされるならありそうだけど

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • KM
  • 2014/01/29 (Wed) 22:43:47
お笑いネットワークのセット前での口上写真。
ご指摘のように、助六師とひろし師が並んでいます。

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • KM
  • 2014/01/29 (Wed) 22:54:53
角座の襲名披露興行。
写真の上の部分は当日配布されたパンフレット。
下の黄色い部分は事前のチラシ。
出番が微妙に入れ替わっています。
ひろし師は口上だけになっていますね(このパンフだけでは、ひろ師が口上に並んだかさえ不明)。もちろん、痴楽師は初日か2日目だったにか倒れ、助六師が代演。
パンフやチラシはあらかじめ刷られたものなので、実際はどうだったかを、これらの資料だけから論じることは危険です。

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • 植松
  • 2014/01/29 (Wed) 23:15:18
柳亭痴楽師が楽屋で倒れたこと。
「六世笑福亭松鶴はなし」に書かれています。

のちに五代目松鶴三十三回忌追善興行でも
島ひろし先生が口上に並んでおられたと記憶しています。

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • 酒本
  • 2014/01/29 (Wed) 23:22:41
>六代目松鶴のときの都家文雄

文雄師は司会でした。
昔は文雄師や九里丸師など元・噺家が口上を仕切ってたんですね。

チラシにあるワカサ師は翌年9月に亡くなってますから、ワカサ・ひろしでは出られなかったのかもしれませんね。だからサムライトリオが後に移動して、三つ目に梅夫津多子が入ってると推測します。

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • 初心者
  • 2014/01/29 (Wed) 23:43:02
私の記憶では、
島ひろし師は口上のみのご出演でした。

口上の司会をされた六代目が「財界を代表して島ひろし大先生」
と紹介されていました。
「ワカサ・ひろし」の漫才の出番は有りませんでした。
ウキペディアでは「ワカサ・ひろし」の最後の角座出演は
74年1月と記されていますので
襲名興業の頃は、ワカサ師の体調も良くなく島ひろし先生お一人の
ご出演になったのでしょうね。

当時は空前の上方落語ブームでしたが
演芸場での落語の扱いは、まだまだで
六代目、三代目、米朝師は口上には三人勢揃いでしたが、
落語の出番は、三人の内、二人が交代で出演する
交互出演の扱いでした。

三代目に続いて上がられた、六代目が枕で
一昔前の角座で、落語が二席続いたら
客席から物が飛んできました
と仰っていました。

助六師の代演は勿論急遽の対応で、
空白の日もあったと思われます。

ABCテレビの道頓堀アワーで
口上が放映されましたが、
このときは、東京の噺家さんはおられませんでした
島ひろし師は口上に並んでおられました

助六師が代演でこられるまでは
六代目、三代目 米朝の三人そろい踏みを
見ることができたかもしれませんね



Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • 植松
  • 2014/01/30 (Thu) 00:51:40
いま思い出しました。
追善興行すっぽかしの舞台見にゆきました。
口上はなくて、松鶴思いで話。
司会鶴光、圓歌、初代幸枝若など。
圓歌師は「松鶴と阿部定の関係」について、逸話を語りました。

初代幸枝若は「竹の水仙」を落語のように座って、浪曲をやりました。
その後にトリの鶴光「あんな目いっぱいやりはったら、次は何もでけまへん」と言って、角力場風景でした。

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • みなもとかずま
  • 2014/01/30 (Thu) 06:56:23
古いかしくの三代目福松は襲名の口上とかあったんだろうか。

三代目南陵の襲名の口上並んだのは東京の講談師誰だっけ?

三代目文我は千日。四代目文我師の時には上岡龍太郎師が出ておられた。

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • 酒本
  • 2014/01/30 (Thu) 08:45:54
>追善興行すっぽかしの舞台(道頓堀浪花座)

私は昭和62年9月27日の昼・夜の部両方行きました。

毎日の(一人で)お礼口上と想い出話の司会が枝鶴さんの役割だったわけです。この日は落語の出番もあって、呂鶴さんが全部代演して落語は「植木屋娘」でした。

ちなみに夜の部で東京ゲストの円楽さんが「皿屋敷」を鳴り物入り(ドロドロ)で演じました。三代目が一緒に出てるのにねえ。

それから、露の五郎師は病に倒れた時で福団治さんが代演してます。

Re: Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • 植松
  • 2014/01/30 (Thu) 18:00:11
酒本さま

貴重な番組ありがとうございます。

私の記憶は番組どおりでした。

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • 異邦人
  • 2014/01/30 (Thu) 19:01:32
先代枝鶴師匠は興行初日に「逐電」されたんですか?

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • 酒本
  • 2014/01/30 (Thu) 21:16:08
初日からです。

ちなみに番組に表向きには載ってませんが、お忍びで仁鶴、小文枝(当時は上方落語協会会長)がご挨拶に出てはります。

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • 恋雅亭同人会
  • 2014/02/02 (Sun) 10:19:02
枝鶴師匠のネタをまとめました。
1・放送でOAされた演題
「青菜」「有馬小便」「按七」「いかけ屋」「犬の目」
「うどん屋」「鰻屋」「看板のピン」「禁酒関所」「くっしゃみ講釈」
「米揚げ笊」「酒の粕」「千両みかん」「竹の水仙」「天神山」
「道具屋」「初天神」「平林」「仏師屋盗人」「へっつい盗人」
「みかん屋」「宿替え」「寄合酒」「ろくろ首」

2・聞いたことある演題
「浮世根問」「掛取り」「狸の賽」「つる」「花色木綿」
「向う付け」

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • みなもとかずま
  • 2014/02/02 (Sun) 21:24:27
バラエティみたいな番組も出るの嫌やったらしいし

ほんまどこいったんや。

先代文枝からいくつかいってるのかな。

Re: Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • 植松
  • 2014/02/03 (Mon) 02:33:00
関テレ・親子百景など録画したので探してみます。
六代目が亡くなる寸前に帰ってきて、一回忌追善興行に出なかった。
私も道具屋かなにか聞いただけですが、六代目よりは軽いと思いました。

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • みなもとかずま
  • 2014/02/03 (Mon) 03:52:11
何度目かの結婚の時に子供が出来てその子供のためにと改心したと思われたが。

狛林利男が売り出そうとした時期もあった。

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • 酒本
  • 2014/02/03 (Mon) 08:53:49
この会のこの企画に出た人は有望格という
「ABC上方落語を聴く会」のしごきの会に抜擢されて
唯一挫折した人ですからね。

ネタがみな軽いネタという、噺家として肝心な時に居なかったのが辛いですね。

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • ダラ・チャール
  • 2014/02/03 (Mon) 21:41:19
この人のことが、こんなに語られるのは何なのか。
六代目の実子だから、ある意味の期待を持たれていたのに、とんでもない人間だったということ。
この話題性を活かす道もあったのかもしれない。

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • 異邦人
  • 2014/02/04 (Tue) 07:40:21
たけし夫人と駆け落ちしたのは、
出奔後でしたか。

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • みなもとかずま
  • 2014/02/04 (Tue) 18:18:05
正妻、愛人何人いたか

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • 虎八
  • 2014/02/06 (Thu) 08:13:36
 先代(五代目)文枝師の処に数年内弟子の様な形で預かっていたが、その時のエピソードを文枝師は自伝の中で「刹那刹那に生きている」「親に対して甘えがある」と云う事を云っておりました。
唯、六代目が幼い頃に実子である、枝鶴師を親戚に預け、
放蕩をした事が、六代目が叱っても「そう云う親父は何してたんや」と云う事で、六代目にも責任がある事を指摘しております。

六代目は晩年は成功したが、定職に就かず、
詐欺まがいの事や、放蕩を尽くしても、父親(五代目松鶴師)に後始末させたり、
落語家に成った頃も実子の責任放棄や家にも帰らず、金も入れない、その様な生活だったと、語られております。

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • 虎八
  • 2014/02/06 (Thu) 08:20:09
笑福亭松枝師の「ため息坂口笛坂」によると、
六代目が危篤状態に成った時も何処にいるか連絡が付かなかったそうですね?
そして、六代目の亡くなる数日前に現れたが、
仮通夜の時に、六代目夫人(後妻)から、
「あんたは、ここに居る資格はありません出て行って」と云われ
「はい解りました」と出て行こうとするのを
弟子たちが懇願し、通夜葬儀の参列が出来たことが書かれておりました。
その1年後、失踪を起こすのですね?

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • 虎八
  • 2025/06/10 (Tue) 09:35:15

Re: 先代(五代目)笑福亭枝鶴師について

  • 上方芸能初心者
  • 2025/06/17 (Tue) 00:50:24
公には消息不明となってましたが、2005年に会ったということは現枝鶴師は消息は一応分かっていたんでしょうかね。

「どうでもええ」と謝罪を嫌がったあたりこの人らしいです。
晩年は生活保護受けてたようですがそれまでは何をやっていたんでしょうか。
(投稿前に、内容をプレビューして確認できます)